■熊取町のいろいろ■

のどかな風景の中に、歴史を偲ばせる名所旧跡が点々


町 の 概 要
大阪府南部の泉南郡に位置し、大阪都心部から約3.5qの距離にある東西約4.8q、南北約7.8qの木の葉状の形をした町である。近年は大規模な宅地開発が進み、農業と繊維の町から大都市近郊のベットタウンとして発展し、人口の伸び率は大阪府下でも有数である。

( 熊 取 町 駅 前 )
奥山雨山自然公園・雨山城あと
永楽ダムと周辺の森林を含む広大な公園内には、展望台・休憩所・アスレチック・トリムコース等があり、数種類のハイキングコースで気軽に森林浴が楽しめます。山頂からは和泉山脈のパノラマや大阪湾を眺望することが出来ます。
雨山城跡は雨山の頂上にある南朝の居城跡。雨山城古図によれば、貞和2年(1346)橋本正高によって築城され元和3年(1617)に城郭が取り払われたと記されています
永 楽 ダ ム の 桜 道

桜の道(大阪みどり百選)500本の桜見ごろは4月上旬〜下旬にかけて

中 家 住 宅
中(なか)家は、御白河法皇が熊野行幸の際に立ち寄られたと伝えられる泉南地方の旧家。室町時代の売券をはじめ明治時代にいたる古文書などが多数伝えられています。主屋の立建年代は不祥ですが、様式技法から見ると江戸初期のものと考えられ、大きな概観と豪壮な唐門が中家の住時の繁栄ぶりを偲ばせます。
降 井 家 書 院
降井(降井)家は、中家と共に 泉南地方の豪族で江戸時代には郷土代官・七人大庄屋を務めた旧家。書院は 江戸時代初期の建立と考えられ、その後、柱・緑廻り等に相当大規模な修理がなされています。尚、天保6年に 作成された屋敷図は戸の豪族邸宅の構えを伝えるものとして、本書院と共に貴重な歴史的資料となっています。
来 迎 寺 本 堂
来迎寺の草創は明らかではありませんが、寺伝によればもともとは天台宗に属し、のち真言宗に移り、元禄2年曹洞宗渓寺の末寺となり円覚山来迎禅寺と称しました。本堂は嘉暦4年(1329)に建立されたと伝えられ、のち応永年間に修復。享保3年には屋根の修理が施され、その後も内部などの修理がたびたび行われています。鎌倉時代のすぐれた建築として、昭和24年、重要文化財に指定されました。
●町の花●
熊取町の花は【ひまわり】です。
強烈な真夏の太陽にも負けず、たくましく育つひまわりは、試練に耐えて着実に発展する熊取の町づくりを象徴するものとして、シンボルフラワーに選ばれました。
なお、この【ひまわり】は町章のデザインモチーフとしても取り入れられています。


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